誰も教えてくれなかったこと

自由とは、お金の量ではなく「選択肢の数」です

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モブツヨシ

肝臓ガン発症をきっかけに、定年も人付き合いも関係ない、 外で労働せずに自宅でひっそりと稼ぐ生き方を身につけるために メンターである松田悠玄さん、メンターのメンターであるひまわりさんから 独りひっそりビジネスを学ばせていただいています。

自由になるために、不自由を積み上げていないか

私たちの多くは、「まとまったお金が
手に入ったら、自由になれる」と信じています。

だから今は我慢する。
休みを削り、気の乗らない仕事も引き受け、
時間を差し出す。

つまり、自由になるために、
まず不自由を選んでいるんです。

厄介なのは、その「いつか」が、
いつ来るのか誰にも分からないこと。

年収が上がれば上がるほど、なぜか身動きは
取りづらくなっていく。

高い家賃、増えた固定費、上げてしまった生活水準。
稼ぐほどに、降りられなくなっていく。

自由になるための努力が、そのまま自分を縛る鎖に
変わっていく。
この逆転に、多くの人が気づかないまま走り続けています。

 

なぜ、稼いでも満たされないのか

ここに、知っておくと世界の見え方が
変わる心理学の概念があります。

ヘドニック・トレッドミル
日本語では「快楽の踏み車」と訳されます。

人は収入が増えると、それに合わせて欲しいものも、
暮らしの水準も、当たり前のように引き上げてしまう。

給料が上がった分だけ、支出も静かに膨らんでいく。

だから、どれだけ稼いでも、満たされた感覚は
やがて元の場所に戻ってしまうんです。

回し車の中のハムスターが、どれだけ速く走っても
同じ景色にいるように。

面白いのは、この踏み車から降りた人たちが、
決まって同じことを言う点です。

彼らは「もっと稼ぐ」ではなく、「これで十分」の線を
自分で引いています。

年に一度の海外旅行を、近場のキャンプに変える。

新車をあきらめて、よく走る中古車に乗り続ける。
外食を減らして、家で料理をする。
我慢しているのではありません。

「自分にとっての十分」を知っているから、
満たされている。

踏み車から降りるとは、速く走るのをやめて、
地面に足をつけることなんです。

 自由とは、「ノー」と言える状態のこと

では、その「十分」の先にある自由とは、
具体的に何でしょうか。

私はこう考えています。
自由とは、「ノー」と言える選択肢を、
いくつ持っているか、です。

嫌な仕事を断れる。
合わない人と距離を置ける。
住む場所を、自分で選べる。

この「断れる力」を支えているのは、大金ではありません。

たった二つのことです。

ひとつは、暮らしのコストを下げること。
もうひとつは、小さな収入の柱を、何本か持つことです。

たとえば、月の固定費を三万円下げられれば、
それは「三万円ぶん、無理をしなくていい」
という自由に変わります。

副業でも、趣味を活かした小さな仕事でも、
月に数万円の柱がもう一本あれば、本業で
理不尽を飲み込む必要が、少しだけ減る。

大きな一本の柱に頼るほど、それを失う恐怖が
あなたを縛ります。

でも細い柱が何本もあれば、一本が折れても倒れない。

その安心が、そのまま「ノー」と言える力になるんです。

この力は、収入が跳ね上がった瞬間に
手に入るものではありません。

毎月の固定費を少しずつ削り、小さな収入の柱を二本目、
三本目と増やしていく

その過程のどこかで、静かに育っていくものなんです。

想像してみてください。来月から固定費が三万円
軽くなったとして、あなたの選択肢はどう変わるでしょうか。

理不尽な要求に「それは受けられません」と言える。
その一言が、少しだけ怖くなくなる。

自由とは、そういう小さな「言えるようになった」
の積み重ねなんです。

大金は、まだ手元にないかもしれません。

それでも自由は、これから稼ぐお金の先で
待っているのではなく、今の暮らしを少し軽くした、
その余白の中に、もう芽生えはじめているんです。

 

 

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