夜中にふとスマートフォンの明かりを見つめながら、
言葉にできない行き詰まりを覚えることはありませんか。
「いつか状況が良くなるはず」
「誰かがまともな社会にしてくれるはず」と
期待しては裏切られ、気づけばため息ばかりが深くなっている。
周りに合わせ、真面目に歩んできた人ほど、
「こんなに耐えているのに、なぜ暮らしは軽くならないのだろう」と
立ち止まってしまうことがあるのではないでしょうか。
そう感じてしまうのは、私たちが知らず知らずのうちに「誰かに変えてもらおう」という幻想を抱えているからだと思います。
私自身も、長い間そうでした。
けれど、その幻想を手放したとき、人はもう一度自分の足で立ち直ることができるのだと気づきました。
届かない声に期待し続ける苦しさ
いろいろなことを経験していくうちに、
外の世界が差し出す約束がいかに脆く、
頼りないものかに気づかされます。
どれだけ誠実に願っても、社会の大きな仕組みや
他人の行動を都合よく変えることはできません。
「次の機会には誰かが何とかしてくれる」と期待することは、
一見前向きに見えて、実は自分の未来の鍵を他人に預けて
しまっている状態なのです。
待つことでしか未来を描けない状態は、
静かに人の気力を削り取っていきます。
変わらない現実に傷つき続けているのなら、
それはあなたが弱いからではなく、
期待を向ける先が違っているからに他なりません。
古代の哲学者が説いた「境界線」
古代ローマの哲学者エピクテトスは、
人生の苦しみを減らす唯一の道として
「自分の力でコントロールできるもの」と
「コントロールできないもの」を厳格に
分ける智慧を説きました。
政治の行方や社会の変動は、個人の力では
直接左右できない領域です。
一方で、「今日どんな行動を起こすか」
「何を身につけ、どう生きるか」は、
完全に自分の手中にある領域です。
哲学が教えるのは、無力感に打ちひしがれることではなく、
変えられない外部への執着を手放し、変えられる足元だけに
全エネルギーを注ぎ込むという潔さです。
自分の力で耕せる領域に立ち返ったとき、
人は初めて本当の落ち着きを取り戻すことができます。
自分の人生のハンドルを握り直す
誰かが助けに来てくれるのを待っている間にも、
人生の貴重な時間は静かに削られていきます。
外側の景色が変わるのを待つ必要はありません。
自分の人生のハンドルは、自分自身で握ればいいのです。
自分の足元を耕し、自分の知恵で生きていく力を
身につければ、誰かの都合に振り回されることのない
自由が手に入ります。
他人に期待するのをやめた瞬間、奪われていた気力は
すべて自分のもとへと返ってきます。
今日この瞬間から、自分自身の可能性に賭けて
歩き出してみませんか。